トランスミュージックの進化とその影響(2)- トランスミュージック誕生期

「トランスって何ですか?」よくこのような質問を受けます。トランスミュージックと一概に言っても様々なジャンルが確立されており、1980年代から現在に至るまで、進化と融合を経て発展してきました。トランスミュージックを時系列に沿って前回に引き続き解説していこうと思います。今回はトランスミュージック誕生期です!

初期の影響とルーツ

トランスミュージックのルーツは、1970年代のドイツのエレクトロニックミュージックにあります。特にKraftwerkは、エレクトロニックミュージックの先駆者として知られ、彼らの音楽は後のトランスに大きな影響を与えました。1974年にリリースされたアルバム「Autobahn」は、長大な曲構造と反復的なメロディーが特徴で、聴く者を催眠状態(トランス)へと導く効果がありました。このようなサウンドは、トランスの基本的な要素となっています。

また、Tangerine Dreamの「Phaedra」や「Rubycon」といったアルバムも、トランスのサウンドを形成するうえで重要な役割を果たしました。彼らの作品は、夢幻的な音を追求しており、トランスの精神的な側面を強調しているとされています。

1980年代に入ると、エレクトロニックミュージックは多様化し、アシッドハウスやエレクトロニックボディミュージック(EBM)などの新しいスタイルが登場しました。アシッドハウスはシカゴで生まれ、RolandのTB-303ベースラインシンセサイザーによる独特の音色が特徴です。この音は、後のトランス音楽における重要な要素として取り入れられ、深く影響を与えました。EBMはダンス可能なインダストリアル音楽として1980年代に広まり、KraftwerkやFront 242などのバンドが先駆者として知られています。これらのスタイルは、トランスの進化に寄与しました。(前回のブログに解説あり)

フランクフルトのクラブシーンとトランスの形成

1980年代半ば、ドイツのフランクフルトはトランスミュージックの中心地として知られるようになり、特にDorian Grayというクラブがその象徴的な場所となりました。このクラブはフランクフルト空港内にあり、24時間営業という特徴を持っていました。ここでは、DJたちがハウスのビートとテクノのエネルギーを融合させ、催眠的なメロディーを追求しました。このスタイルがトランスの発展を助け、Dorian Grayはトランス音楽の聖地としての地位を確立しました。

DJの中でも特にSven Väthは、トランスのスタイルを形成する上で重要な役割を果たしました。彼はインドのゴア1からの影響を受け、サイケデリックな要素を取り入れたトランス的なサウンドを生み出しました。VäthのDJセットは、聴衆をトランス状態に導くことを目的としており、これがトランス音楽の特徴的なスタイルの一部となりました。

トランスの定義と特徴

1980年代後半には、トランスという言葉が徐々に使われるようになり、音楽がダンサーをトランス状態に導く特性が強調されるようになりました。トランスミュージックは、通常4/4のビートと繰り返しのベースラインが特徴であり、非常にメロディックで豊かな音の層を持っています。曲はしばしば長く、6〜10分程度のものが一般的で、長いイントロやアウトロがあり、DJがシームレスにトランスセットを構成できるようになっています。

トランスの特徴として、歌詞やボーカルが少ないことが挙げられます。多くのトランス楽曲はインストゥルメンタルであり、聴衆は音楽の流れに没入することができます。こうしたスタイルは、リスナーに精神的な旅を提供し、音楽を通じて深い感情を体験させることを目的としています。

1990年代のトランスの拡大

1990年代に入ると、トランスミュージックはフランクフルトから広がりを見せ、他の地域でも影響を与えるようになります。特に、イギリスやオランダなどでトランスのスタイルが取り入れられ、さまざまなアーティストが登場しました。1991年には、Sven Väthが設立したEye Qレコードがトランスの新しい潮流を生み出し、Cygnus Xの「The Orange Theme」やEnergy 52の「Café Del Mar」などの楽曲がリリースされ、トランスの人気を高めました。

また、Oliver LiebやPeter Kuhlmann(Pete Namlook)などのプロデューサーも重要な役割を果たしました。彼らは、トランスのサウンドをさらに発展させ、多様なスタイルを取り入れた楽曲を制作しました。特に、Oliver LiebはL.S.G.やSpicelabなどの名義で数多くのトランス楽曲をリリースし、そのプロデューサーとしての存在感を示しました。

トランスのサブジャンルの登場

1995年までのトランスには、さまざまなサブジャンルが登場し始めました。例えば、ハードトランスやアップリフティングトランスなどがその一例です。ハードトランスは、よりアグレッシブなビートとエネルギッシュなメロディーを特徴としており、ダンスフロア向けのサウンドを提供します。一方、アップリフティングトランスは、よりリズミカルでエモーショナルな要素を強調し、聴衆を高揚させることを目的としています。

こうしたサブジャンルの登場は、トランスの多様性を広げ、さまざまなスタイルやアプローチが生まれる土壌を作りました。DJたちは、トランスのセッティングでのパフォーマンスを通じて、その音楽をさらに進化させていきました。

トランス音楽と文化

1990年代のトランスミュージックは、単なる音楽ジャンルにとどまらず、特定の文化やライフスタイルを形成しました。トランスミュージックは、若者たちを中心に広まり、特にクラブやフェスティバルでのトランスパーティーは、強いコミュニティ意識を醸成しましたとされています。

このような文化的な側面は、トランスミュージックが持つ独自の魅力の一部です。多くの人々にとって、トランスは単なる音楽ではなく、心の解放や自己表現の手段として機能しました。

まとめ

1995年までのトランスミュージックは、1980年代のエレクトロニックミュージックの流れを受け、フランクフルトのクラブシーンを経て、独自のスタイルを確立していきました。この時期のトランスは、KraftwerkやTangerine Dreamなどの先駆者たちの影響を受け、DJたちによるパフォーマンスを通じて進化しました。また、Paul van Dykのようなアーティストの登場や、サブジャンルの多様性、さらに文化的な側面がトランス音楽の発展を促進しました。このように、1995年までのトランスミュージックは、その後の音楽シーンにおいても大きな影響を与える重要な時期でした。

  1. ゴアトランス:ゴアトランスは、1980年代後半にインドのゴア地域で誕生したトランスミュージックの一種で、サイケデリックな要素を強く取り入れたスタイルです。元々は、ヒッピー文化が根付くこの地域で行われるパーティーにおいて、DJたちがエレクトロニックなビートと反復的なメロディを組み合わせて演奏したことが始まりとされています。
    ゴアトランスの特徴は、複雑なリズムパターンや、長大な曲構成、そして幻想的で夢のようなサウンドスケープです。また、シンセサイザーやサンプラーを駆使し、エフェクトを多用した音作りが行われます。これにより、聴衆は音楽に没入し、トランス状態に導かれることが目的とされています。ゴアトランスは、後のサイケデリックトランス(Psytrance)へと発展し、世界中の音楽シーンに影響を与えました。 ↩︎

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