トランスミュージックの進化とその影響(3)- トランスミュージック黄金期

トランスミュージックの黄金時代は、1990年代後半から2000年代初頭にかけて広がりました。この時期は、Paul van Dyk、Armin van Buuren、Tiestoなどのアーティストが人気を博し、トランスはエレクトロニックミュージックシーンの中心的存在となり、その影響力は絶大でした。今回はトランスミュージックの黄金期について解説していこうと思います。

プログレッシブ・トランス

1990年代初頭、トランスは英国にも進出し、英国のナイトライフシーンでアシッドハウスと融合しました。アシッドハウスは、シカゴで生まれたダンスミュージックで、RolandのTB-303ベースラインシンセサイザーによる独特の音色が特徴です。このスタイルがプログレッシブ・トランスの基盤となり、英国のトランスシーンを形成しました。英国のプログレッシブ・トランスは、長いブレイクダウンやオーガニック楽器を取り入れることで、聴衆にヒプノティック(フランス語で「催眠」の意)な体験を提供しました。

プログレッシブ・トランスの大きな特徴は、ボーカルを避ける傾向にあります。このスタイルは、聴衆が音楽の流れに没入できるように設計されており、DJたちはしばしばプログレッシブ・ハウスとミックスすることがありました。実際、プログレッシブ・ハウスはファンキーなビートを保ちながら、プログレッシブ・トランスはよりヒプノティックなサウンドを追求しました。

1990年にPhil HowellsとJeremy Dickens(通称Red Jerry)が設立したHooj Choonsレーベルは、この時期のプログレッシブ・トランスのヒットを多数リリースしました。特に、Energy 52の「Café Del Mar」のThree N’ Oneリミックスは、初期のプログレッシブ・トランスの代表曲の一つです。

Hooj Choonsは、Lustral、Salt Tank、Solarstoneなど、多くの有名アーティストを契約し、シーンの発展に寄与しました。

さらに、1990年にはAge of Loveが「The Age of Love」をリリースしました。これはEBM(エレクトロニック・ボディ・ミュージック)とトランスのハイブリッドなトラックで、1992年にJam & Spoonが「Watch Out For Stella」のリミックスをリリースすることで、商業的成功を収めました。

このリミックスは、トランスの商業的成功の先駆けとなりました。Age of LoveのBruno Sanchiaoniは、後にB.B.E.という名義でEmmanuel TopやBruno Quartierと共にトランス音楽を制作し、特に「Seven Days & One Week」が知られています。

バレアリック・トランス

バレアリック・トランスは、リラックスした柔らかな音楽スタイルで、スペインのバレアリック諸島からの影響を色濃く受けています。バレアリック諸島にあるイビサ島からイビサトランスとも呼ばれています。このスタイルは、ビーチでのんびり過ごしながら聴くのに適しており、聴く者をリラックスさせる効果があると言われています。バレアリック・トランスは、ギターやボンゴドラム、ピアノ、弦楽器などのオーガニック楽器を多用し、曲に自然音を取り入れることが特徴です。

たとえば、波の音や海風の音、さらにはカモメの鳴き声などが、バレアリック・トランスのトラックにしばしば含まれています。Jam & Spoonの「Stella」は、このスタイルの初期の代表的な例とされ、他にもSolarstoneの「Seven Cities」、Robert Milesの「Children」、Humateの「Love Stimulation」、Chicaneの「Offshore」などが有名です。

ハード・トランス

ドイツでは、ハード・トランスが登場し、より速いテンポとアシッドラインを特徴とする新たなスタイルが確立されました。ハード・トランスは、オリジナルのトランスから進化しながらも、ヒプノティックな要素を保持しています。このジャンルの音楽は、通常、Gated Padや孤立したピアノメロディーが用いられ、リズムを強調します。ハード・トランスのスタイルは、後のハードスタイルやジャンプスタイル、NRGなどのジャンルの基盤となりました。

特に、ベルギーのBonzai Recordsがハード・トランスの代表的なレーベルとして知られています。このレーベルは1992年に設立され、Jones & Stephensonの「The First Rebirth」やCherrymoon Traxの「The House of House」、Blue Alphabetの「Cybertrance」などのヒットをリリースしました。

また、Prolekultレーベルもハード・トランスの重要なレーベルであり、Thomas Heckmannの「Amphetamine」やBaby Doc & The Dentistの「Tales of The Seraphim」などのトラックが人気を博しました。

ハード・トランスのプロデューサーには、Sunbeam、Odysee of Noises、Mauro Picotto、Man With No Name、Komakino、Cosmic Gateなどが名を連ね、このジャンルはトランス音楽の多様性をさらに広げました。

英国のスーパークラブとセレブDJ

1990年代中頃、英国のトランスシーンは依然として活発であり、特にプログレッシブ・トランスが成長していました。しかし、同時に地下シーンは影を潜め、より商業的な側面が強化されていきました。この流れの中で、Scott BondはBakersクラブでレジデントDJとして名を馳せ、後にGatecrasherイベントを立ち上げるという成功を収めました。

Gatecrasherは、シェフィールドのArchersで始まり、その後1996年にはThe Republicというナイトクラブで開催されるようになりました。このイベントは急速に人気を博し、Judge JulesをレジデントDJに迎えることで、更に多くの観客を集めることに成功しました。イベントはピーク時に数千人の人々を動員し、DJたちがGatecrasherで演奏することを希望するようになりました。

この時期、DJたちはセレブリティとして知られるようになり、特にSashaとDigweedがその先駆けとなりました。彼らのリミックスアルバム「Renaissance – The Mix Collection」は1994年にリリースされ、彼らの人気を押し上げました。

さらに、Paul Oakenfoldもこの流れに乗り、バレアリックビートに影響を受けた楽曲を制作し、Perfecto Recordsを設立しました。

Oakenfoldが1994年にリリースした「Essential Mix」は、彼の名声をさらに高めました。特に、Goa Mixとして知られるミックスは、彼のスタイルを確立する重要な要素となりました。彼のコンピレーションミックス「Tranceport」は、トランスの人気をさらに押し上げ、Oakenfoldはスタジアムを埋め尽くすDJとしての地位を確立しました。

まとめ

トランスミュージックの黄金時代は、1990年代後半から2000年代初頭にかけて、さまざまなスタイルが登場し、アーティストたちがその名を馳せた時期です。プログレッシブ・トランス、バレアリック・トランス、ハード・トランスなど、多様なサブジャンルが発展し、各地域で独自の進化を遂げました。特に、英国のスーパークラブやセレブDJの登場は、トランス音楽の人気をさらに高め、世界中の音楽シーンにおいて不可欠な存在となりました。このように、トランスミュージックはその後のエレクトロニックミュージックの発展に多大な影響を与え続けています。

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